男は黙ってマッピング。
Diary Entries in Japanese
Recent diary entries
Overpass Turboを使用した、該当タグの検索方法 メモ
下記のリンクをクリック
https://overpass-turbo.eu/s/M1f
弘前市を検索する市名に変更
この例では、place=hamlet;place=quarter;place=neighbourhoodを検索している。
「実行」し、「エクスポート」でGeoJSONファイルでダウンロード。
GeoJSONファイルをJOSMで読み込み可能。
QGISのデータソースマネージャのベクターでも読み込み可能。
住所・地名の記入について place=hamlet は日本では現在あまり使われていないので注意
今後は以下で統一
*市 place=city
*町 place=town
*村 place=village
*大字 place=quarter
*小字 place=neighbourhood
世界にはOSM編集日数4000日、5000日クラスの先人マッパーもいらっしゃいますが、私事、Active Mapping Daysを3000日を越えることができました。ここまでOensStreetMapを続けられたことに最大の感謝の意を表したいと思います。 世界、日本、福島、全てのOpenStreetMapコミュニティー、そして私の家族に感謝します。 数え切れない人との出会い、光景、マッピングが目に浮かびます。
ありがとうOpenStreetMap。
マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
遠いアイルランドまで旅して参加したState Of The Map 2008、私にとって貴重な贈り物をいただきました。OSMって何?、OSMコミュニティーは?、どんな人々が参加している?と興味津々で参加して、つたない英語力で発表を見聞きしても、得るものは数多くありました。その中で最も心動いた場面は、まだOSMの活動が始まったばかりの遠い日本から参加したmiururさんの発表に、会場の皆さんが背伸びして見入り、真剣に聞こうとしてる会場の雰囲気でした。まさしくWelcome to OpenStreetMap!という光景に心動かされましたし、自分のことのようにうれしかったです。こちらにも当時の会場の反応が映っています。 私は得ることしか頭になくイベントへ参加しましたが、自分が与える貢献するという目線はさすがになかったことに気づかされました。どんな小さなことでもよいから自分も何かを与える貢献をしたいと思いました。それが次の年に繋がるのでした。
Active mapping days 3000日の一か月前から書き始めればこの十数年間をふり返り日記に残せるかと思っていましたが、全く進まず2999日を迎えました。せっかく書き始めたので、このまま、3000日を過ぎても今までのふり返りを日記に記していきたいと思います。
Active mapping daysがこの3月で3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
SotM2008でOpenSteetMapの創始者スティーブ・コーストとはじめてお会いました。若いスティーブ・コーストの基調講演を聴きながら、この人がOSMを始めたんだーとこの時は遠目に見るだけでした。 OSM 、SotMつながりでこの後も長いお付き合い、私の考えの支えとなる(日本にいても顔が浮かぶような)皆様、明るく楽しい皆様、とここSotM2008で初めてお会いしました。 SotM開催中、アイルランドからメーリングリストtalk-jaで日本のコミュニティにSotMの情報を伝えたり、関心事の質問受けたりもしていました。
カンファレンスに飛び込んだ私は、OSM活動を始めて間もない時期ですから、本場では、「どこの国がOSM先進国?」「どんな方法でOSM地図を描いている?」「マッピングパーティーはどんな感じ?」「OSM地図、データの利用は?」「新しい技術を知りたい!」と様々なOSMの情報が知りたい気持ちでワクワク前のめりで見聞きしていました。 そんな中、目に留まったのが「Threat Analysis: Things That Could Spoil Our Party」の講演でした。それまで、私自身オープンなコミュニティ活動経験はゼロでしたし、OSM描くぞとそればかり考えていたのでコミュニティをどう考えるといった思考は全くありませんでした。 そんな頭で”Happy OSM country where the sun always shines.”のスライドを見せられました。インパクトありました。GPS持ってログ取り、OSM描いて楽しいとだけ思っていられるのは今だけなのかな?と考えてしまったフレデリックさんとの初対面でした。
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
2008年7月アイルランドのリムリック、静かな郊外にあるキルマリー ロッジ ホテルでState Of The Map 2008が開催されました。State Of The Mapと銘打ったOpenStreetMap国際会議はこれが2回目になります。第1回会議は2007年イギリス、マンチェスターで開催されました。SotM2008参加者はおそらく80名程度だったと思います。OSM活動が始まったばかりの日本からはmiurahrさんと私が参加しました。成田からヒースロー空港、バス移動でスタンステッド空港へそこからアイルランドのシャノン空港、そしてタクシー乗合で飛ばして、いろいろあって深夜2時会場着。海外初心者、勝手がわからない私には遠い道のりでした。翌朝、「Good morning!」と受付会場入り、初対面の皆さんと過ごす2日間SotMの幕が開きました。 2008年当時、私が書いたコメントです。
「深夜、ホテルにチェックインして迎えた翌朝、外は薄曇り、庭には野うさぎが跳ねていました。ホテル内のU2やABBAの曲が流れるレストランで朝食。Registration開始は8:30、参加申し込み、参加費送金は問題なかったかドキドキしながら列に並びます・・・ありました私の名前。ネームプレートと記念Tシャツを受け取って会場入りしました。最前列に陣取り、電源確保、講演の開始を待ちます。 9:30 Robert Barrさんの基調講演「The Megagalactic super visible street sign company」が始まりました。期待の2日間の始まりです。」
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
2008年にはOpenStreetMapつながりで多くの方々と出会うこととなります。なんと言っても2008年に出会ったキーマンはmiurahrさんです。 miurahrさんは、2008年にOSM国内コミュニティスタートとなるtalk-jaメーリングリストを立ち上げ、ドキュメント等の整備をいち早く進め、芽生えたOSM活動の活性化に大きく貢献してきました。現在もOpenStreetMap Foundation Japanの代表理事を務めています。 またmiurahrさんは当時からOSS、他の分野でも秀でた活躍をされていて、その手腕をOSMへの貢献と普及に発揮することとなります。
2008年6月、OSM国内メーリングリストに「7月アイルランドでState of The Map 2008」というメールをmiurahrさんが投稿します。 「私はアイルランドで7月に開催されるOSM国際会議 SotM2008に行って、日本の活動をプレゼンします。いっしょに行かれる方はいますか?」という内容でした。私はOSM活動に参加する前まで海外とはほぼ縁遠い生活でした。ツアーパックで新婚旅行、観光旅行へ行ったぐらいで自分でチケット、旅程を組む経験などはゼロでした。 それでも創成期のOSMを見たい、世界のメンバーに会いたいという強い気持ちが収まらず、miurahrさんの「行きませんか」に「アイルランド行きます」と手をあげました。 これが後のState of The Map、渡航大好きの始まりとなりました。
そして7月、海外エキスパートのmiurahrさんに旅程、チケット手配をお任せしている一方で、海外行きに慣れない私は不安半分、田舎でアイルランド行きの準備をしていました。出発当日、ほぼ面識のないmiurahrさんと成田空港第一ターミナルの北ウィングの角で、どんな人かなーと思いつつ早朝待ち合わせ。そこにスタスタとmiurahrさんが登場、親切にスケジュールを説明してもらいましたが、話半分?でわかったふりしてチェックイン(笑、ロンドン経由アイルランドSotM2008への旅に出発しました。 出会いは未来、この一歩を踏み出したことが私にとってとても大きなものとなりました。
SotM2008会場でのmiurahrさんとSteve Coast氏
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
当時、全く白紙の状態からOpenSteetMapで道路や建物、地図を描くには下図となるソース、情報源が必要です。ライセンス上、許可のない他の地図や資料、衛星写真を写したり、それらを基に編集することはできません。 そこでOSMでは、自らGPSロガーを持って道路や建物周りを移動した軌跡(GPSログ)を下図として地図を描くことを推奨していました。GPSロガーを持って歩いたり、車に積んで道路を走りして、保存した軌跡を道路と見立ててPC上でトレース編集します。 私もガーミンのGPSロガーを持って歩いたり、車で走行してGPSログを集めました。 OSMとは関係なく、当時、延々と続く海岸線で海岸清掃をする際に、目標物がなく清掃エリアの区割りがわからないので、GPSロガー使うのはよいかもとGarminのLegendを使っていました。 はじめてのGPSロガーLegend、楽しかったです。モノクロ画面でかなり粗い、ドットが目立つベースマップですが、そこに自分のポジションがリアルタイムに見れて、記録されるのはワクワクしていました。 そのLegendをOSMに使うこととなります。そのあと10年以上の付き合いになる名機Garmin60csxを購入、日本、海外でのGPSログ収集の相棒となりました。苦楽を共にした60csxでした。
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
2008年、国内OSMメーリングリストTalk-jaでのコミュニケーションが活発になり、MLの中でマッピングパーティー開催が提案され、マッピング開催地は鎌倉と決まりました。5月24日(土)鎌倉駅前にはじめて?日頃MLで活発なやり取りをしていたメンバーがオフラインで顔を合わせることとなります。この日ここから現在まで長いお付き合いになっています(感謝)。
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します
まだ情報の少ないOpenSteetMapについて調べて2007年12月アカウント登録しました。編集操作の練習をしたり、どうしたら地図が更新されるのかなど少しずつ理解できてきました。 そして2008年3月、待望のOSMの国内メーリングリストTalk-ja: OpenStreetMap talk ML for Japanese User が立ち上がります。これで国内に芽生え始めていた個々のOSMマッパーがつながることとなります。OSM国内コミュニティの誕生です。そして私にとってもOSMが沸騰する、世界が変わる、忘れられない2008年が始まります。
第4回OpenStreetMap記念誕生パーティー 2008/8/2
Active mapping daysが3月に3000日となります。 記念としてカウントダウン的にOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数は“How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal Neis氏に感謝します。
自由な地図OpenSteetMapの存在を知ったその年、2007年11月12日、OSGeo財団日本支部主催のOSGeo.JP 東京ミーティングに参加しました。 「Google Maps Hacks」 「 Mapping Hacks」の著者 Schuyler Erle氏の講演”OSGeo and the Democratization of Cartography”を聞いていると、なんと講演の中でOpenStreetMap活動について紹介がありました。 みんなが自由に編集でき、共有できる地図、wiki形式による全世界の共同作業それがOpenStreetMap。 これはと思い、ミーティング終わりに会場にいたスカイラーさんにかぶりつき、片言の英語でOSMの説明を求めました。 スカイラーさんは面識のない私にも丁寧にOSMについて語ってくださいました。
当日持参していた「GOOGLE MAPS HACKS」本にサインしていただきました。 スカイラーさんのサイン「May your maps always tell great stories!」 このOSGeo東京ミーティングへの参加でOpenStreetMap熱がさらにあがりました。 スカイラーさんとOSGeo財団日本支部に感謝します。
OSMへ参加して13年、Active mapping daysが3月に3000日となります。 カウントダウン的にマッピング3000日を記念してOSMに関わる出来事についてふりかえり日記を書いています。 マッピング日数はPascal Neis氏の “How did you contribute to OpenStreetMap?”を参考にしています。Pascal氏に感謝します。
OSMを知る以前、誰もが作れる自由な地図を必要と感じたのは、新潟県中越(2004年)などの報道に不明瞭な地図が多く使われている状況を見たときでした。現地と状況がわかる者から情報を集約してより正確な地図は市民レベルでも作れるし、共有できるはずだと感じていました。 「新潟県中越地震が発生した際に細切れに出てくる情報を繋げてやりたいと思いました。べースマップ、基図さえ開放してくれれば瞬間的に入力できると思っていました。」と2008年のtalk-jaでその時の気持ちを書いています。
そして2007年、田舎の勤め先で開けたメールマガジンの巻末「編集便り」で初めてOpenSteetMapと出会いました。最後の一文でノックアウトされました。そのときめきは今でも覚えています。
2007/02/22 発行 「GIS NEXT EXPRESS Mail Magazine vol.105 」 株式会社ネクストパブリッシング GIS NEXT編集部 (編集部便り より引用)
“だが、このプロジェクトの面白さは地図をめぐる権利問題にとどまらないものがある。つまり、“地図は自分で作るもの”という文化が、こうした活動を通じて広がっていくかもしれないということである。情報技術の進歩によって、地理情報や位置情報の取得、処理、加工、流通が容易になったため、これからは市民が必要な地図を(コミュニティを通じて)自分で作成し、紙や携帯電話やカーナビなどに入れて利用する時代がくるかもしれないということだ(もちろん、より専門的な用途に向けた高精度な地図への需要はなくならない)。しかも、地図作成のプロセスにおけるジオコミュニケーションの楽しさは、さらに多くの人々を地図の世界に呼び寄せていく可能性がある。 その意味で、日本にもOSMのコミュニティができないかと思っている。誰か、始めませんか?”
2007年からOpenStreetMapプロジェクトへ参加して13年、Active mapping daysが3月に3000日となります。 カウントダウン的に、マッピング3000日を記念してOpenSteetMapとの出会い、人との出会い、OSMに関わる出来事について日記を書いています。 マッピング日数はPascal Neis氏の “How did you contribute to OpenStreetMap?”サイトを参考にしています。Pascal氏に感謝しています。
2007年からOpenStreetMapプロジェクトへ参加して13年、Active mapping daysが2970日を越えました。あと30日で3000日となります。カウントダウン的に、マッピング3000日を記念してOpenSteetMapとの出会い、人との出会い、OSMと私に関わる出来事について日記を書いていこうと思います。
マッピング日数はPascal Neis氏の “How did you contribute to OpenStreetMap?”サイトを参考にしています。Pascal氏に感謝しています。
○参加型地図情報は2030年までにどのように進化するか?
この授業でオープンストリートマップの作成やマップスワイプの作業を実際に行ってみて、衛星写真を見て細かい所まで判断することの難しさを実感した。行ったことがある場所であっても知らない道や建物は多いのだから、海外などの縁もゆかりも無い土地だとなおさらである。特に、海外の道がわかりにくかった。地元の人間しか使わないような、建物の隙間の細い道や、衛星写真だとただの筋にしか見えない未舗装の道などの判断は難しい。この問題を解決するにはどうすればいいかを自分なりに考えてみた結果、スマホの位置情報ビッグデータを地図に反映させることを思いついた。連続した位置情報が線状に記録されている場所を道と見なして地図と重ね合わせ、最終的に人間がチェックを行うことで、かなり細かい道まで地図に記載することができるのではないだろうか。位置情報をビッグデータとして用いることで、地球上のスマホを持つ人間全員が参加して、地図の基盤を作成することができる。もちろんスマホの所持率は100%ではないし、途上国では困難かもしれないが、2030年までと考えるとスマホ普及率は今より高いだろうし、ひょっとすると新たなデバイスが生まれているかもしれない。ビッグデータを反映させることで、現在人間が手作業で行っている作業の負担が軽減され、より精度の高い地図が楽に作成できるのではないだろうか。
○授業の感想
この授業では、自分の手で作業したり家から出て外で体験したりすることが多く、講義パートで学んだ内容を自分の物にすることができた。オンライン授業だとどうしても座学中心になっていたため、この授業は新鮮で、楽しく実践的に学ぶことができた。 私は今までOSMについては名前しか知らず、この授業で初めて知ることばかりであった。特に、その規模と参加人数の多さには驚いた。東京都心部は特に充実しており、多くのマッパーがこれまで積み上げてきた成果を実感した。ジオキャッシングを体験した回では、自宅周辺の狭い範囲にも多くのキャッシュが隠れていることを知り、自分の知らない世界がずっと前からすぐそばにもあったことを学んだ。カオスマップを作成した回では、OSMが私の予想以上に幅広い分野で利用されていることがわかった。 私は地図サービスといえばGoogleくらいしか知らなかったが、この授業を通じてOSMについて学び、その利用範囲の広さとさらなる可能性を知ることができた。思っていたより気軽に参加でき、個人で楽しめるサービスが多いため、それぞれの認知度が上がればさらに多くのユーザーを獲得できるのではないかと思った。
参加型地理情報が2030年までにどのように進化するか
私は、参加型地理情報の教師データの収集方法はこれからさらに形態が増え、誰しもが「いつのまにか」データ収集に参加していたという形が一般に広まっていくと考える。現在の参加型地理情報におけるデータ収集では、スマホやPCなどの端末を持っている人なら誰でも参加することは可能であるが、事前にアプリケーションをインストールして、外に撮影をしに行くとなると地理にそこまで興味のない人にとっては少しハードルの高い作業になってしまう。そこで、普段使っているSNS(Twitterやインスタグラム、Facebook)で何気なく発信した投稿を、データ収集者が地理情報のデータの一部として使うという手法をとっていくことで、地理にあまり触れてこなかった人たちでも参加型地理情報のデータ提供に貢献できるようになるのではないか。具体的には、AIがSNSで投稿者によって発信された投稿をもとに写真・文章を解析し、発信者の場所とその場所の状況を割り出し、匿名で現場の声のデータをより大量に集めるという方法を取る。集められたそれらのデータは、例えばバスガイドの代わりに季節やその日の気温、旅行者の好みに応じて多くの人がよく訪れるルートを提案・案内したり、リアルタイムでは高速道路の渋滞情報や電車の遅延情報を提供したりと活躍する。今でも電車の遅延情報を「〇〇線 遅延」とTwitterで検索すると、誰かが遅れについて述べたツイートなどは出てくるものの実際にその人がその沿線のどこで何分遅延しているのかがわかりにくい。しかし位置情報を組み合わせて何気ない呟きの状況を明確に地図に表すことで誰でもどこでも現場の生の声を参考にできる。しかし、このようにSNSを用いる方法の一番の問題点は、発信者が間違った情報を流している可能性がある点だ。できるだけ偽りの情報を減らすためには、事前に投稿について学習したAIの力を借りて、内容のチェック作業を丁寧に行うことが求められる。
授業感想
授業内のスライドの中にあった「一億総伊能化」というキャッチコピーはとても印象的で、自分も地理情報システムの発信者の1人として関わり続けなければならないということを強く感じました。また、様々なアプリケーションを用いた授業内の活動において、自分の家の近くであるけれど最近は足をあまり運んでいなかったところで景観を撮影したり、宝物を探したりしたことでその場所への愛着が前よりも増したような気がします。
2030年頃の参加型地図情報の変化
私は2030年頃には参加型の地図の活用や利用がいまよりも身近になる一方で、参加型の地図の作成はいまよりも疎遠になるのではないかと考える。2030年にはAIがいまよりも発達し、スマホのGPSのデータから道路や路線などのデータが作成されたり、航空写真からAIが建物データなどの入力を行ったりし、そのAIによって入力されたデータを基本ベースとして人間が修正を行い、AIにフィードバックを行う一連の流れで地図が作成されることが考えられる。そうなると、いまよりもより多くの地域のOSMが作成されたり、細い街路時のデータが入力されたり地図の精度が上がることで様々な場面で地図が利用されるようになるため、オープンストリートマップのような地図の活用や利用は身近になり、AIが作成した地図情報の修正などは一から建物情報を入力するよりも簡単にできるからこそ達成感がなく、疎遠になるのではないかと思いました。
授業の感想ー地理教育の観点からー
2022年から新学習指導要領が施行され、約50年ぶりに高等学校において「地理」が必履修化します。また、これまでの地理A、地理Bの枠組みではなく、新たに「地理総合」「地理探究」として科目が新設されます。 「地理総合」は、持続可能な社会づくりを目指し、環境条件と人間の営みとのかかわりに着目して現代の地理的な諸課題を考察することを目指しています。その科目の中で扱う3つの柱の1つとして『地図や地理情報システムで捉える現代社会』がある。地理総合では、地図や地理情報の活用法をはじめに学び、その後の学習全般において地理の技能を使って学習していくことになります。 しかし、長年地理が選択科目だったこともあり、地理専門の教員の不足が問題になっています。これまで地理歴史科の中では世界史のみが必履修科目であったため、高等学校で地理を履修していない先生が2022年から地理を担当することも少なくないと予想できます。 私はこの授業を受け、参加型地図情報がカーナビやポケモンGoなどの私たちの身近にたくさん存在しており、ジオキャッシングなどの地図を用いた遊びなど私たちがとても身近に地図を使用していることを実感できただけではなく、オープンストリートマップやmaps.meやMapswipeなど私たちが自分で簡単に地図作成に携わることができることを知りました。そのため、学校教育の地理総合の授業の中で地理が専門ではない教員でもGISを活用できるようなソフトなどがあれば、参加型地図情報の手軽さから生徒が地図に興味を持つことができるようになったり、地理総合の学習がより効果的に行われたりするのではないかと考えました。 また、学校教育が社会や地域とのつながりを意識する中で、教育課程を介して社会や世界との接点を持つことがこれからの学校教育において重要視されている中で、学校の地理の授業や総合的な学習の時間などで地域の「ハザードマップを作り、配布しよう」などの授業展開が予想できるのではないかなとこの授業に履修と通して思いました。
2021年1月10日、オープンストリートマップのアカウントを登録しました。
トランプ大統領の選挙で世界中が大騒ぎです。ぜひ、トランプ大統領には2期目も継続して活躍してもらいたいと思っていますが、非常に厳しい状況です。そして、現在、トランプ大統領、その他のアメリカ保守層の政治家等のTwitterなどが、停止されてしまったり、YouTubeが配信停止されたり、言論の自由が脅かされています。長年親しんできたグーグルマップですが、こうした状況下で、このさきどのような行動をグーグル社がとるのか不安が増してきています。1月20日に次期アメリカ大統領が誰になるかまだ分かりませんが、いずれにせよ、自由を求める世界的な戦いは、これからも続いていきます。
このような時期にオープンストリートマップの存在を改めて知り、こうしてアカウントを登録できたことはうれしい限りです。ほんの少しでも、誰もが自由に使えて、自分たちで自由に育てていける世界が広がることができればいいと感じています。
これまでオープンストリートマップを支えてきた数多くの皆様と、これから支え続けていくであろうすべての人々に感謝いたします。
長崎市のOSMを描き始めたきっかけは、昨年12月の日記に書いた、「鎖国時代、長崎出島から運ばれた日本図によって海外の人々に日本の姿(国土)が伝わっていったということに感心しました。地図=伝えるもの、長崎が海外への扉、いいなー長崎とそこからが始まりでした。」という長崎への関心からでした。
昨年、日記を書いた後、はじめて長崎に足を運び、地元長崎の皆様とご一緒、OpenStreetMap交流会 in Nagasakiにも参加できました。深夜まで長崎市街を千鳥足でてくてく歩き、楽しかったです。感謝!
描き始めてから1年を過ぎ、15か月。地図の基礎的要素、道路と河川、海岸線、建物などをまず描き上げることを目標に、地理院地図(標準地図)や衛星画像などをもとにカチカチ描いていました。 中心市街地の道路建物はグイグイとテンポよく作業が進みました(約半年)。街区のように街並みが整理されている地区は個人的に描きやすいイメージがあります。 夏からカリカリ編集にはげんで、今年始めには他のマッパーの皆さんと共に中心市街地のベースはほぼ満たしたので、山場は過ぎて春にはゴールかなと甘い考えを思っていました。
これが全くの見当違いでした。とても春には終わらす、夏が過ぎ―秋が過ぎ―再び冬となりました。中心市街地編集の後、点在する郊外の住宅エリアを飛び石を跳ねていくように描いていました。地方では道路と建物、プラス河川の3点セットがベースマップ編集では骨格になる印象を持っています。 編集対象が郊外になってから思っていた以上に時間がかかりました。長い、そして絡み合うクネクネ道、点在する住宅建物エリア、建物の向き違い不揃いも手間かかります。
さらに登場してきたのが「長崎の海岸線」。 沿岸部の街並みを書き始め、海岸線がまだざっくり描かれているだけだなーと思い、合わない海岸線を編集で触り始めました。 海岸線編集の連続が始まりました。終わらない。 それもそのはず、北海道を除き全国1位の海岸線延長を持つ長崎県、島嶼や変化の多い海岸線が延々と続きます。
皆さんと描いてきた長崎市のOSM、地図のエラーチェック(妥当性検査)ではまだチェックされる場所も多々ありますが、全体がざっくりとしたベースマップとして形になってきました。 今度こそ、2021年の春にはベースマッピングで一巡できると思います。
笑顔で春を迎えられるでしょう。たぶん。
OpenStreetMapプロジェクトに参加し、地図を描いて長い月日が過ぎました。
ご存知の通り、当初からOpenStreetMapは、全く”白紙の状態”から使用が許される情報ソースを使って地図を描いていました。
私もそれにならって、地元や日本各地、海外など地図の白紙エリアで道路や建物を描き上げ、地図らしく見える範囲を広げていくことに楽しさを覚えていきました。 また、地図書きを継続し年月が過ぎていくと、新しい道路や建物など社会・自然の変化で街並みや地形が変わり、地図を描きかえる必要が出てきました。 新規に広い範囲、多くの街のOSMを描くほどに描き換え・更新が必要な場所が多くなっていることを体感してきました。
たとえ綺麗で見やすく使い勝手のよい地図でも、地図の情報が古い場合、私がユーザーならその地図を使うことをためらい、新しい情報が載った地図を探すでしょう。
昨今、さまざまな技術開発で、このような新しい方法でよい地図が作れますというニュースはあまた目にしますが、こうしたら地図を継続的に更新できますというニュースはあまり見ません。継続的な更新とは、常に経年変化してる地形や社会に対応してより短いサイクルで地図が更新されるという意味です。
多くのオブジェクト、属性を含み、精度良い地図も、継続的な更新がなくては使われる機会が少なくなるでしょう。
絶え間ない地図更新が可能となるアイデア、しくみが登場することを楽しみにしています。 最大の関心事です。